公害の原点“足尾鉱毒事件” ━100年つづく鉱毒被害と生態系の破壊
●近代産業の開始とともに発生
近代国家として歩みはじめた明治時代。政府の富国強兵策(工業化を進め軍事力をつけ市場を確保しようとする国策)のもと、古河鉱業足尾銅山が操業。ほどなく付近の山々は坑木用材乱伐と製錬所が出す有毒ガスでハゲ山となり、渡良瀬川に魚影が消え、下流は鉱毒混じりの洪水が頻発。被害民30万人超の鉱毒事件が引き起こされた。…生態系の破壊で山水の恵みが途絶。
●強権発動 政と官は産(財)の利益のために
時の政府は洪水対策として渡良瀬川下流の谷中村を遊水池として村民を強制退去。廃村にして鉱毒問題に終止符を打とうとした(この時の農民と田中正造の抵抗は歴史に刻印)。 鉱毒問題は谷中村滅亡で終わったわけではなく、昭和の戦争経済の時代を経て戦後も依然として渡良瀬川流域にあり続け、1世紀近くに及ぶ。農民は絶えず泣き寝入りを強いられてきたのだ。
●終止符が打たれようとした鉱毒問題
戦後の高度成長期を経て日本企業が海外進出する時代の1973年、足尾銅山が閉山。翌年には被害地農民と補償交渉が成立。鉱毒問題は歴史の彼方に消え入ろうとしていた。がしかし、鉱毒は消えずハゲ山もそのまま残存。
|
|
カメラが捉えた閉山1年後の足尾
――今の利益は企業 負の遺産は民衆と未来世代へ――
|
加害企業の城下町から観光の町へ脱皮か ━━人々の不安には政策の甘言
「ハアー 銅は枯れても足尾の山は掘れば出てくる湯のけむり」。閉山から1年が過ぎた夏。足尾では盆踊りでにぎわう。直利音頭(直利とは富鉱脈の意)の歌詞は閉山を機に町民から募集したもの。閉山による雇用喪失、先行き不安に町当局と古河鉱業が打ち出した“金が外から落ちる”観光開発に期待が寄せられる。人々の不安に政策の甘言は心地よく響く。貧しく辛い鉱夫の町足尾は公害の原点の汚名を脱ぎ捨て、温泉の町と日本のグランドキャニオン(煙害でできたハゲ山の観光開発計画)として再出発という触れ込みだ。町民に持たせた時流のユメ、“観光”は動揺を一時鎮めるための鎮静剤か…。
|
「鉱毒は国策」という免罪符、そして「生活のためには仕方がない」
100年にわたる鉱山の廃棄物が足尾山中いたる所の谷を埋め尽くしている。鉱毒はそうしたところから滲み出る水に溶融。鉱毒混じりの水は処理しているはずだが垂れ流し状態。広大な山中に降り注ぐ雨水に対応した処理は莫大な費用を要す。古河鉱業は、鉱毒は過去のもので戦時中の国策が原因と責任逃れ。町民は銅があって国民が助かったこともあるし生活のためには仕方ないと心情を語る。そして、処理費用がかさみ会社が困れば労賃が下がるという心配も根強く心を動かした。こうして事は進行してしまった。戦時下でさえ人々の困窮をよそに古河鉱業は利益を得ていたのだが問題視はされない。
|
崩れ落ちるハゲ山の果てしない砂防工事と植林
━━大規模な環境破壊、私企業の後始末には税金がつぎ込まれる構造
ハゲ山では毎年砂防工事と植林が繰り返される。仕事がなくなった人はこの公共事業で糧を得ようとする。それしか生きる術がないのだ。草木育たぬ死の谷は無限につづく地獄の責苦を人に課すかのようでさえある。だが民に罪はなし、罪あるは利益集団とその擁護者の政と官。(足尾の山々はフクシマ原発事故の放射能汚染も加わった)
|
人は生態系のなかでのみ持続的に生きられる
━━被害農民が到達した人間観と農業のありかた
世代を超える100年余りの間。上流足尾から流れくる鉱毒に苛まされつづけてきた農民。自然の摂理のうちにのみ恵みが得られる農の営みに向き合い不条理な鉱毒問題に取り組んできた農民の中には「これからの農業は環境中の生き物と生物としての人間を大事にする食べ物をつくること、利殖目当ての農業はやってはいけない」との農業観を力説する人が現れた。
21世紀の環境の時代を見据えた卓見である。
|