パラパラグループ・おりじ 編
ご購入はお近くの書店、またはネット書店へ ●著者紹介 ●なんでくるりん25なの ●自転車拾い ●模型 ●BMWの恐怖 ●イラストレーターへの道 ●水道パイプを切る ●くるりん25の電気溶接 ●旋盤君はりっぱ ●チーフ感電 ●門柱事件 ●ボディーの作り方 ●ピッカピカの塗装だヨ ●バッテリーの悲劇 ●くるりん25操縦マニュアル ●燃料タンクは雨雲? ●くるりん25でグルグル ●おりじ流焼き肉の夜 ●寝る時間 ●夕食の秘密 ●正しい火遊びの方法 ●ヒゲの運命 ●最年少レディースドライバーは死に損なっていた ●初めてバイクに乗った時 ●ブレーキ破損 ●夢知遊基地が無くなる ●くるりん25ズームアップ ●ローマ字物語 ●たつさんの10分は30分 ●おでこのしわはリーバイス ●歯医者になれるかな ●オーバーヒート対策は扇風機 ●いじめられて! ●服の脱がし方 ●井の頭線の変態おじさん ●家に帰るのが遅くなった理由 ●にゃんこ殺人事件 ●阪神大震災緊急体験レポート ●受験生の言い訳原稿 ●1年半は長かった ●グループ・おりじの活動記録略年表 ●おりじへの略地図 グループ・おりじ 「子供たちが創意と冒険心に満ち、好奇心あふれる日常を手にすること」を目的に何でもやってみようという世界で唯一のユニークな集団。1970年三月新制作協会・会員の洋画家、故宮脇公実氏が主催する子供のためのアトリエ「小さい画家たちの家(1947〜現在に至る)」に通っていた約100人の児童・生徒たちのうち8人が「絵だけではなく、色々なことをやってみたい」といいだし、公実氏の次男、宮脇和さんを主宰者にして“グループ・おりじ”が誕生した。以来25年、立体凧作りから始まった“おりじ”は、無人島合宿に挑戦し、本物の二階建ての家を軸組工法で完成させたり、人の乗れる乗り物をいくつも作ったりと、子供文化の発進基地として活動してきた。いわゆる入会試験で選別されない普通のどこにでもいる現代っ子たちが“おりじ”にふれ、計画から始まり、全てを子供たちで作っちゃおう、やっちゃおう―と、これからも子供たち、“おりじ”の夢はポコンポコンと実現されていくことだろう。 ●連絡先 この原こうを書いているぼくは38歳だけど、こどものときに、もしこの本を読んだとしたら、ぜったいぼくも「グループ・おりじ」に参加したい! と思っただろう。おりじは、みんなから「チーフ」と呼ばれている主宰者の宮脇和さんが25年前からやってるMONOづくり集団。少額3年生から中学3年生までの子どもが毎週日曜日に集まるんだけど、なにしろやってることが大人顔負け。水陸両用車を作ったり、本物の2階建ての家を建てちゃったり…。 で、94年の1月から1年半の歳月をかけて「くるりん25」を作った。ガソリンエンジンで走り、360度どんな方向にもいきなり発進できて、カニの横ばい走りもできる、2人乗りの変な乗り物だ。ガソリンスタンドでボロボロのエンジンをもらったり、ゴミ捨て場から自転車をひろってきたり、材料もみんなで集めた。もちろんチーフの指導つきだけど、、せん盤や電気溶接機やスプレー眼も自分たちでちゃんと使って作った(おりじは貧乏だけど、工具はたくさん持っているのだ) で、くるりん25の第1次完成品ができた94年の9月に、チーフが小さい子たちに、ローマ字を覚えてキーボードの練習をするように指令をだした。このことを本にするんだけど、それはパソコンでぜんぶ編集するDTPでやろうというのだ。おりじは貧乏だけど、いろんな人にもらった旧型のワープロやマックや98がある(途中でチーフに講演料が入ったので、最新高速マックを1台買ったけど)。あるメンバーのお父さんの会社が、高級なスキャナーとソフトを貸し出してくれた。くるりんの改造と平行して、みんなでソフトの使い方を覚え、原稿や写真やイラストを入れていった(チーフはマックが使えない!)。データが大きすぎてパソコンが止まっちゃったこともあったけど、知り合いのデザイン事務所のマックを使わせてもらったりしてなんとかした。 去年の6月、くるりん25が完成した。9月、パソコンで作った版下を知り合いの印刷屋さんに印刷してもらい、断裁と製本も自分たちでやって、11月手作り本『パラパラ』400冊はできあがった。
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